FC2ブログ

他人の苦労話を煩わしいと感じた時に

※苦しい時はとりあえず落ち着いてゆっくり深呼吸。自覚がないままに脳の処理量が増大して酸欠になってたりする人は少なくないのかもしれません。【軟酥の法】とかについて調べて試してみるのもいいかもしれません。



『私は昔こういう経験をし(てき)たんだ。(このくらい苦しんできたんだ。)』

というような苦労話を聴かされた時、

心の声『また苦労話(あるいは苦労自慢)か…。』

と捉えてしまうと精神的な負荷にもなるものです。

自分が苦しんできた経験と比較してイライラすることもあるでしょうか。

そういう時は自分がそういう話(発言)をしてしまった時を想像してみるといいかもしれません。

心を許して話が出来るような相手がずっと周りにおらず、孤独なまま生きてきた人とかの場合は、例えばどこかで叫んだり、メモ帳とかに書き殴ったり、ブログやtwitterとかで呟いた経験とかを思い出してみるといいかもしれません。

人が苦労話みたいなのをついついしてしまう時。

そういう時は、自慢したいとかではなく、ただ気持ちを、苦しみを、理解して欲しいという純粋な欲求が生まれたのだと想像してみるといいのでしょう。

(まあ実際は色々と複雑な場合もあるかもしれませんので、これはあくまで"基本的なパターンの場合根底にあるのはそういう欲求なのかもしれない"とでも捉えておいて下さい。心の構造が複雑化して本音を出せなくなっている人(場合によっては発言と本心がまるで一致してない人)や、表情と内心が一致してない人や、認めていない相手に心を探られることを不愉快に思う人とかも少なくないので、他人の心の動きを察するのは時に難しいものです。そういう人に対して下手な詮索や非難とかしようものなら…。この辺は自分自身でそうなった経験を積んでみると手っ取り早いかと思います。周りに信頼出来る人が既に居るのに、そういう人達との関わりを断ち、孤独な道を敢えて選んで進もうとする人はなかなか少ないかと思いますが。図らずも孤独な道を進むことになってしまった人達の方が多いのかもしれません。)

苦労話をしている人が歳上のいい大人(とされる年齢の人)だと、情けないと感じたり、将来に不安を覚えたりすることもあるでしょうか。

聴かされた話とかをきっかけにいろんなことが頭に浮かんでくると、脳の使用率が上昇して負荷になり、脳だけでなくその他神経や心臓や血管や全身への負荷をもたらすこともあるでしょう。

(既に心身が弱っていると無視できないダメージになる場合もあるので、たとえ酒の勢いとかであっても下手な過去話は気をつけた方がいいかもしれません。特に大した信頼関係も築いていない相手や関係が拗れている相手とかにするのは。まあでも我慢も毒なので、出来ることならそういうのが癖になってしまう前に気をつけるべきなのでしょう。自分の心と体、心身を、他人に理解してもらおうとする前に、まず普段からそれを自分自身で理解しようと努める人が増えていけばいいのですが。その人のそれまでの人生を一番知っているのは他でもないその人自身。他人が理解するのが難しいことは少なくないものです。)

無理を続けて心身の状態が悪化していると感じ方が悪化しやすくなり、他人の些細な言動や態度とかを誤解してしまいやすくもなるもの。

(話し手の口が悪かったり表現が拙かったりする場合はさらに。この文章とかも、読み難く負荷が大きなものになってしまっている場合があるのかもしれません。)

幸せになろうとしている人達が潰し合うような事になってしまうのは悲しいこと。

そういうのは出来る限り避けていきたいものです。

他人との関係を改善していき、無理なく素直な捉え方(相手の純粋な気持ちに共感するような捉え方)をより多く出来るようにしていく為にも、普段から自分自身の心身と向き合い、自分に出来ることとできないことを都度見極めながら、歩む道を選び続けることが重要なのでしょう。

(苦労話とかは、未だ癒えていない心の(そしてそれと繋がる体の)傷やそういったものによっても生じた歪みとかが表面化したものであるという風に捉えてみるのもいいかもしれません。相手がそういうものを表面化させているということはそれ相応の信頼の証でもあるのかも。信頼関係を構築するチャンスでもあるのかもしれません。チャンスを活かすのは難しい場合が少なからずあるものですが。チャンスを活かすことが場合によっては無理な道に繋がることもあり。距離感を見失って下手な馴れ合いに繋がり、負荷をどんどん増やしてしまったり。(酒の力を借りて心を開いたりした場合は特に危ういものです。)どの道を選ぶかは当人次第。)
スポンサーサイト



これからの人と世の中の為に

※いつものごとく抽象的な表現が多くわかりにくいところが多々あるかもしれません。"具体例を自身の経験からすんなり引き出せるような心身の状態にある人向け"ということになるのかも。



人はあれもこれもに気を配ることは出来ないもの。

疲れたり身体を壊していったりして心身の状態が悪化してくると特に、気を付けられるところが減り、気付かなくなることも増えていくものです。

(場合によっては気付いていないという自覚すら持てなかったりもするのかもしれません。認識力や認知機能の低下みたいなのは些細なことで起こるものでしょう。自他のそういうところをあまり気にし過ぎると消耗も激しくなり、体力・気力に余裕がなくなるとさらに気を遣えるところが減るので、難しいところはあるものです。部分的にでも、なるようにしかならないと諦めたりするのは時に大切なことなのかも。)

気を付けられるところが減ったりすることが時に、周りの人から、"傲慢な言動や態度"であるとして捉えられてしまっているなんてのもよくあることなのかもしれません。

(相手に無自覚にプレッシャーを与えてしまっている場合とかは特にそうでしょうか。相手との信頼関係の程度の問題や、相手の心身の状態や捉え方とかの問題でもあるでしょうが。)

(お酒に酔って認識力や認知機能とかに問題が生じたのであれば"そういうものだ"と思う人が多くてあまり気にしないことでも、素面でのことだと捉える側に違和感が生じ、それが不安や負荷に繋がり、場合によっては不愉快さや諍いとかに繋がることもあるでしょうか。)

(人の態度が大きくなったり、人が何かをわかったつもりになってしまったりするようなのは、その人の心身の状態が悪化していて、安心感を求めているからである場合もあるでしょう。自分が相手から受けている負荷にばかり気を取られていると、"この人は傲慢だ"みたいな誤認が生じてしまったりもするものです。(もちろん実際に傲慢である場合もあるかと思いますが。)相手も自分と同じように負荷を受けているかもしれないという想像は時に必要なものでしょう。相手が今何を意識しているのかを、その人に余計な負荷をかけないように察するのは難しかったりもするものですが。自分がどんな時に何を意識して心身にどういう反応が生じたのかとかを観察していくことも必要でしょうか。他人の言動や態度が生じた理由とかについては、後になって落ち着いて振り返ってみてようやく気付くところがあるものです。)

捉える側がただ型にはまりそれに捉われている人であったり、心身の状態が悪くて些細なことからも負荷を得やすくなっていたりすると誤認もまた増えるもの。

些細なことが重なって、不幸にも、誰も望まないのに不愉快さや争いとかに繋がってしまうのは悲しいことです。

出来ればそういうのは避けていきたいもの。

知っている常識(と思い込んでいるもの)や当たり前(だと思い込んでいること)や礼儀の型(こういう時はこうするべきだ等々)とかを基準として他人の言動などを反射的に判断したりしてしまっていると、感じ方が悪い方に傾いてしまいやすくもなるものでしょう。

(仕事とはこういうものだとか、大人とはこういうものだとか、他にも色々あるものです。同じ型にはまって捉われたまま、何年経ってもまるで理解が深まってないなんてのはよくあること。同じような型にはまって捉われてる人が集まると、弊害に苦しむ人が現れて問題も起きたりするでしょう。そういう段階に至らないと多数派の改善は難しいものなのかもしれません。それ故に、何かがきっかけとなってある時期に急激なパラダイムシフトみたいなものが起きたりもしてきたのでしょう。恐らく何度も何度も。急激な変化は不安定さにも繋がるものなので、そういうのを避ける為に色々と工夫してきた人達も大勢いるのかもしれません。あくまで個人的な想像ですが。)

ただでさえ相手の心身の状態とかを想像出来ていなかったり、自分自身の心身の状態を満足に把握出来ていなかったりして、様々な問題に繋がってたりもするもの。

せめて、たまには時間を作って自分自身の認識を疑うようなことをしていく必要があるのでしょう。

(もちろん本人の意思で無理をしない程度に少しずつやるべきですが。思い付いた時にメモしたりしておくと後で思い出す手間が省けて助かったりもするでしょうか。)

礼儀とかについての理解を深めていく為にも。

(恐らく、世の為人の為に生み出されたはずのそういうものですら、型にはまって捉われた人を増やしては様々な諍いを生んでしまっているというのは、なんとも悲しく、時に虚しいものです。)

語尾とかが下手に断定口調になっていたり命令口調になっていたり(その他誤解を招く表現や口の悪さみたいなものになっていたり)するようなのも、その辺りにまで気が回ってなくて癖(慣れ)が出てしまってる場合があるものでしょうか。

(このブログの記事とかにもそういうのが多々あるかと思います。人がより誤解なく意思疎通を行うには、読み手や聴き手、捉える側が脳内補完することの重要性は大きいものです。もちろん出来る限り気を付けて書いたり話したりすることも大切ですが。)

そういう癖とか慣れとか(捉え方や呼称とかは様々でしょうが)は、それがもたらしている弊害の大きさに苦しむようにならないと、改善するのが難しいこともあるもの。

恐らく無意識の部分の活動が多くを占めているものだからなのでしょう。

普段考えていることはやがて口に出てしまったりするもの。

無意識の部分に影響を与えて改善しようとするなら、普段から頭の中の意識の時点で改善を図ることが必要になってくるのかもしれません。

些細な意識の積み重ねが、やがて様々な差異を生み出していくのでしょう。

何はともあれ、人が日々に余裕を意識的に作ることが当たり前の世の中にでもなっていかないと、いろんな問題が生じるのは避けられないことなのかもしれません。

(ただ、当たり前になってしまうと、慣れてしまうと、ただそういう型にはまって捉われた人も増えてしまい、臨機応変さを欠くどころか本末転倒なことをしてしまってたりと、また新たな問題に繋がってしまったりもするもの。"そもそも何故そういうことになった(した)のか(本来はどういう意図があったのか)"、"その結果どういうことが起こってきたのか"、"今引き続きそれを(そのやり方で)やるとどういうことになるのか"。そういうことを知ったり想像したりする人を増やしていくこともまた重要なことなのでしょう。難しいことでもあるでしょうが。わからない方が負荷が少なく、幸せでいられることは多いのかもしれません。様々な物事の負の側面を知っていけば、自分も無関係ではないことを知り、それが負荷になることもあるでしょう。まあそういうのも適度であればいい経験になっていくかと思いますが。)



最近出来る限り深く考えないようにして感じることを優先してたせいか、この記事を書く際に、特に書き始めは頭が上手く回らなかったような。

脳細胞の使用率が上がってきて余裕が無くなってるのかも?

(また瞑想でもするとしましょう。瞑想というか脳の辺りを含めて全身の気を緩めるというか流すというか。その辺についてももっと学んでいく必要があるのでしょう。)

それもあるのかもしれませんが、文章を書くのをサボり気味なので慣れの部分に、それを生む無意識の部分に、変化が生じているのかも?

そんなに簡単に機能低下を引き起こすということは、今まで文章を書く際に無理(な気の遣い方)をしていたのかもしれません。

脳は特に、使い過ぎてても自覚がないことが多いものでしょうか。

(なんらかの原因により脳のリミッターが外れやすくなってるような人もいるのかも。(昔頭とかを打ったとか事故とかに遭ったとかで?)頭痛とかがほとんど無かったりするような人は使い方が上手いのか、それとも痛覚が一部麻痺してるのか。人が普段どんなことを意識しているのかとか、脳の辺りにどんな感覚がどんな時に生じてるのかとか、そういう情報を集めていかないとわからないことは多いのでしょう。まあプライバシーの問題とかもあるのでなかなか難しい領域かとは思いますが。そのうち人工脳とかが作られるようになれば面白そうな、怖そうな。その場合人工脳の人格?のプライバシーとかも考える必要があるのでは?難しい。)

前にも書いたかと思いますが、気力を振り絞ったりして無理に心身を働かせようとすると(時に自覚がないままに)壊れるばかりなので、(そういう経験から学べることも多いものですが、)無理を自覚し、無理から少しでも学んで、脳を含む心身の使い方を洗練させつつその状態把握にも努めていきたいところ。

(脳とか筋肉とか体力とか言っても様々な要素や使い方とかがあり。心身の状態や置かれた環境(関わる人を含む)やその時の(無意識の部分を含む意識の)向き不向きとかに合わせて、最適解(自分を含むより多くの人がより無理をせずに済む道)を都度導き出していくことを楽しめるようになっていければ素晴らしいことなのでしょう。そういう人が増えていけば未来は明るいのかもしれません。)

(心身のいろんな要素の発達度合いとかも人によって様々で、置かれた環境、関わる人や関わり方とかの問題で、伸びやすい部分があったり、制限されてくる部分が出てきたりもするのでしょう。そういうところも考慮すると、安易に他人と比べて他人と同じようなスペック(またそのパラメーター)を無理に目指したりそういうのを強いたりするようなのは問題が大きいと言えるのでしょう。(RPGとかキャラクター育成要素のあるゲームとかをやったことのある人ならこの辺のことについて想像しやすく、現実世界における古い世代の様々なやり方に含まれる問題点とかに気付きやすいかも?)無理ばかりが積み重なり心身を壊したりすると、劣等感に捉われ、それが新たな問題を生んでしまったりもするものです。夢を持つことは大切かもしれませんが、無理して何かを得ようとし続けると、失うものもまた多いということは覚えておく必要があるでしょう。無理から学んでいくことが出来るかどうかが重要なポイントになってくるのかもしれません。もちろん自分自身の心身の状態把握と改善に努めつつ、心を育み理解を深めていくことも重要なことでしょう。)

(なんというか、"誰かを目指そうとするのではなくあくまで自分自身を磨いていく"というか、そういう意識を持っておくのもいいかもしれません。そういう捉え方をすれば、誰もが最初から何かの貴重な原石ではあるものの、一生を終えるまでに上手く磨き上げられるかどうかはその人次第、ということになるのかも。)



人が心身を壊してしまいやすい社会

(他人の為に)頑張ることが美化された世の中。

他人に当たり前を強いる世の中。

消費を増大させることで経済を活性化しようとする世の中。

ストレス解消の手段が増えた世の中。

いろんな要因が重なり、無理をしては身体を壊す人が増えてるんだろうなぁとしみじみ。

何かしらで心を満たし、気力で体を動かすことに慣れてしまうと、無理をしていても自覚がなかったりもし、身体が壊れていっていることにも気付かなくなってしまうもの。

自分自身の心身の状態を把握するのは時に難しくもなるものですが、それを一人一人がやっていき、少しずつでも改善に努めていかないと世の中はよくはならないのでしょう。

(もちろん法律やその他規則とか、仕組みの方を人や世の中の変化に合わせて改善していくことも必要でしょう。)

人が、組織やより広い社会の基盤だというのは、失念しやすいことなのかもしれません。

より先へ、より上へと進もうとする前に、そもそも何の為に組織化しているのか、何の為に国とかも維持しているのか、そういうことを改めて考えるのも時には大切なことでしょう。

初心に還ることの重要性を理解出来るようになるまでは、この辺りのことがわからず、無理をしてでも突き進んでしまうものかもしれませんが。

(無理をしてみなければそれについても理解を深められないことがあるものでしょう。人の心身とは不便なところがあるものです。)



訪問者数が4桁を超えました

気付けばブログの訪問者数が4桁を超えてました。

みなさんありがとうございます。
m(_ _)m

(まあでも私の訪問数も含まれてることを考えると実態は…。)

ブログ収入に関してはほぼ無いままなので、それについてはもうどうでもよくなってきたような。😑

広告を貼ったところで何百万、何千万と訪問者がいないとまとまった収入にはならなそう。

(今貼ってる広告に関しては今の所9ポイントだったような。9円なのか0.9円とかなのか、詳しいところは忘れましたが。どちらにせよ無いも同然。収入として受け取れる数値になるまでに一定期間が経過してしまうとリセットされる仕組みなのもあり…。)

設置する広告とかにもよるのかもしれませんし、訪問者さんとの交流とかも大事なのかもしれませんが。

まあでもそういうのあんまり今の私には向いてないような。

あくまで気ままにやってるだけなので。

やることが増えると出来ないことも増えてくるものでしょう。

あれもこれもは出来ないもの。

限られた気力のより良い使い道を判断していくのは、まあ面白いところもあるような?

(それが収入実質0という結果に繋がっているのは悲しいことなのかもしれませんが、まあ無名の個人のブログなんて基本的にはこんなものなのでしょう。あの手この手を使って訪問者数を増やすみたいなのも私には合わないでしょうし。)

いつまで続けられるかはわかりませんが、また気が向いたら適当に何か書くと思います。

そういえば最近絵を描いてないような。

(描き始めたのも最近ですが。)

結局三日坊主みたいなことになってたかも。

まあその辺もまた気が向いた時に。

【追記】

記事に貼った広告を全て削除しました。

ほぼ無意味な上に煩わしかったのもあり。

ブログの全ての広告を削除しようかなとも思いましたが、まあ左右にだけとりあえず置いておくとします。

(前にも書きましたが、画面下部にある追従してくるものやその他の広告が表示されてる場合は、FC2が自動で設置しているものでこちらでは手を加えることが出来ません。)



砂漠の緑地化とかが進まない理由について少し考えてみたもの

※あくまで個人的な想像の産物です。

砂漠の緑地化とかが進まないのは、出来ないからではなく"意図があってしないから"である場合が少なからずあるのではないかとふと思う。

(砂漠とかに適応した生物がいたり砂漠とかがあることによって地球環境にプラスの影響もあるかもしれないので、そもそも人間本位な環境改善というものは環境破壊でしかなかったりするのかもしれませんが。特に急激な変化を望んでやったものとかは。植林で花粉症が増えたみたいな、実害が生じてるようなのもありますっけ。)

もしアフリカや中東とかの砂漠の大半が緑地化した場合どうなるでしょう。

(北アメリカ大陸とかオーストラリアとか他の大陸にも砂漠はあるかと思いますが。ググってみたら南極とかも砂漠だとかなんとか。(降水量が少ないとかだけでなく、実際に氷の下は砂や岩だらけなのでしょうか?)砂漠にも砂砂漠があったり岩砂漠があったり、環境や生み出しているものや周りへの影響とかは様々でしょうか。)

今以上に無計画な人口増加が起き、地球の貴重な資源やエネルギーとかはどんどん食い潰されていくでしょうか。

(緑地が増え放牧される家畜の数が増えれば、それによる弊害もあるのかも。他人の土地での違法な放牧の増加やそれによる争いや、家畜泥棒の増加等々。疑心暗鬼に陥った人が増えればさらに面倒なことに…。無計画な焼畑農業の増加とかが加わると緑地化しても結局…。)

それによる環境汚染とかも生じるでしょう。

(そもそも人の活動が生み出した砂漠とかもありましたっけ。サハラ砂漠とか。(人の活動以外の要素の影響もあるみたいです。)メソポタミアの辺りとかも本来は緑地だったという話だったような。現代はプラスチックとか自然に還り難い化学製品の生産や消費とかもあるので、下手な人口増加は取り返しのつかない事態を招く恐れがあるのかも。川がビニールとかプラスチックゴミだらけになったところの話とかもありましたっけ。生分解性プラスチックみたいなものの技術開発と普及が今以上に進めばだいぶマシにはなっていくかもしれませんが。)

人口削減を目的に含む紛争や戦争とかも今以上に必要になるかもしれません。

そういうので苦しむ人が徒らに増えてしまうことにもなるでしょうか。

そもそも、横断するのが困難な砂漠地帯が存在していることで、それ自体が国や都市とかにとってのメリットになってる(なってきた)場合もあるのかも。

敵の進軍ルートとかを制限したり進軍を思い留まらせたり、民の流出や移民の流入とかを制限したりしてきた側面とかもあるのかも?

(スパイや暗殺者とかが民に紛れ込んでるなんてのはよくあることでしょうか。そういう人達の移動ルートや移動人数とかを制限したり、活動拠点の特定を容易にするとかいう目的もあったりするのかも。実態は知らないのであくまで想像ですが。)

(砂漠地帯とかが緑地だった場合と比較して想像を膨らませてみると面白いことがわかったりすることもあるのかも。まあ昔は緑地だったところとかもあるのでしょうから、その頃の人の活動とかを知ることも大切なことでしょうか。)

何はともあれ、中東とかの偉い人達には彼らの思惑があるのかもしれません。

莫大なお金とかがあれば、おそらくやろうと思えば砂漠の緑地化はやれるのではないでしょうか。

(技術の問題とかですぐには難しいところもあるかもしれませんが。化石燃料とかはやがて枯渇するでしょうから、そうなる前に何かしら動きがあるのかも?まあ新しい収入源やエネルギー源とかが確保できたりした場合はまたそれによっても変わってくるでしょうか。)

民の民度の向上とかが進まない内は難しいことが多いと感じている為政者達は少なくないのかもしれません。

そもそも民の民度の向上なんてものは夢でしかないと諦めてる人達も多いのかも。

(自分達のことしか考えない人は多いものでしょうか。仕事をしてお金を得て暮らしていければそれでいいと思い込み、その仕事が生み出している負の影響とかはまるで考慮してなかったり。人的資源の損耗やそれによる社会への影響とかはまだまだ注目されないことが多いもの。無計画な焼畑農業とかしてる発展途上国の人達と先進国の多くの人達。そこに大差はないのかもしれません。なんとかなるさと無計画に子供を産み増やす事とかについても結構共通点みたいなのがあるような。人の心身の状態やその他の状況とかの悪い方への変化とかを考慮してないとかは、まあよくあることなのかもしれませんが。あれもこれもは出来ないものでしょう。"何を諦めるか"の選択が難しいということになるのかも。それが人を切り捨てるような判断に繋がってしまうのは本末転倒というべきでしょうか。)

やがて地球の環境が悪化していけば、必要に迫られることで、人的資源の人為的な生産・管理を始める国とかが現れるなんてSFみたいなことにもなりそうな。

(その前にAIを搭載したロボットの普及とかが進めばいいのですが。)

まあ先のことはわかりませんが。

(砂漠の緑地化についてググってみたら、ゴミとシロアリとかで緑地化出来るのではないかみたいな話もありました。それでふと思ったのですが、バイオBB弾を用いたサバゲーを砂漠でやったら場を提供する現地の人達の収入になりつつゴミが増えて一石二鳥なのでは?まあなかなかに過酷な娯楽になるかもしれませんし、今のバイオBB弾とかが砂漠で分解されるのかとか知りませんが。それでもバイオBB弾とかの改良次第でどうにかなるのかもしれませんし、砂漠でのサバゲーとか一部のミリタリーマニアにはそそられるところがあるのかも。まあ日本に住んでる人の場合行くのが大変ですし、プレイヤー達の休憩施設とかを作ることを考えると…まあそれが砂漠緑地化の拠点となっていけば…う~ん。砂漠素人に出せるアイデアはこんなものでしょうか。あんまり役に立たないかも。)

(今は一般人でも飛行機による移動を行ったりするので、砂漠の役割は変わってきているのかもしれません。(活かし方が変わってきているのかもしれない、と表現するべきでしょうか。)また、住み慣れた環境や風景とかが変わることを望まない人とかもいるでしょう。砂漠は不便だろうし緑地化した方が色々と便利だからとか考えるのは自由ですが、現地の人達からすれば、場合によっては大きなお世話だったりもするのかもしれません。何をするにしてもまずは現地の人達のことを知り、その意見とかを集めることが大切なのかも。まあ少数派や社会的弱者の意見とかは揉み消されたりしてしまうものかもしれませんが。人の意見を含む様々な情報の、集め方とかはよく考えるべきでしょう。今回の件に限らず。)



FC2プロフ
ページ全体を翻訳

人間の社会は、国や地域や組織や家庭は、人間の集まり。


社会は集合体。

(人間の社会に限らない)


人間は細胞の集まり。

細胞は分子の集まり。

分子は原子の集まり。

原子は素粒子の集まり。

(素粒子はエネルギーの集まり?)


人間も集合体。

(人間に限らない)


地球は、人間を含めた様々な生物を含む、物質とエネルギーの集まり。


地球もまた集合体。


それらを含む大きな宇宙もまた集合体。


大宇宙の中に存在する集合体である地球は大宇宙の一部、小宇宙。


人間もまた、小宇宙。


身体の外側に広がる宇宙にばかり気を使うのではなく、時には身体の内側の宇宙に気を使い、よく観察してみることも大切なこと。


自分自身の身体の内側の小さな宇宙を観察し、そこから発せられている刺激(信号)を捉えてあげられるのは、またそれを基に理解を深めてあげられるのは、自分自身だけ。


人間を含む生命は、その内にある小さな宇宙を任された存在。


身体は大切に。

訪問者数
フリーエリア